2017年、2018年に引続き、2019年1月6日に3年連続【七福神めぐり】で招福祈願をしました。2017年が【亀戸七福神】、2018年が【日本橋七福神】、そして、今年が東京の七福神として有名な【深川七福神】の神社・寺院を巡って参りました。
「七福神」は江戸時代の中頃から、正月元旦から七日の間に、一年の幸せを祈って七福神を祀った神社・寺院を参詣する風習が始まって、今に生き続け、東京各地の七福神めぐりには、多くの方が参詣されてます。
江戸城周辺の有名な七福神は、深川・亀戸・日本橋・谷中・浅草名所・下谷・隅田川・柴又があり、東京都内には、大田区・新宿区・目黒区等に約30か所があります。中でも、深川七福神は、周辺に史跡旧跡が多く、下町情緒にふれながら巡ることができる七福神で、人気も高く、本日も案内のツアー旗に集まった多くの参詣客が訪れ、どこの神社・寺院も多くの参詣で待ち時間もあるほどでした。
【深川七福神のご案内】
深川の七福神は、三つの神社と四つのお寺に祀られております。
(1) 富岡八幡宮:恵比須神
(2) 冬木弁天堂:弁財天
(3) 心行寺:福禄寿
(4) 円珠院:大黒天
(5) 龍光院:毘沙門天
(6) 深川稲荷神社:布袋尊
(7) 深川神明宮:寿老神
七福神とは、恵比須・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋尊・福禄寿・寿老神をいいます。起源は定かではありませんが、室町時代に「七難即滅・七福即生」の考え方や京都の町衆文化として生まれたといわれてます。現在の七福神は、江戸中期以降、財力・長寿・出生・知恵など様々の願いを叶えてくれるものとして、信仰されたといわれてます。
★「七福」とは、寿命、有福、人望、清簾、威光、愛敬、大量のことで、この七つの福徳が、人生にとって、大切とされてます。
★「七難」とは、諸説ありますが、仁王経によりますと、日月の難、星宿の難、火災の難、水害の難、風害の難、旱魃(かんばつ)の難、戦乱盗賊の難の七つの天災・人災が説かれてます。
★七福の徳目とそれを守る福神は、次のとおりです。
1 寿命 寿老神(じゅろうじん)
2 有福 大黒天(だいこくてん)
3 人望 恵比須神(えびすじん)
4 清簾 布袋尊(ほていそん)
5 威光 毘沙門(びしゃもんてん)
6 愛敬 弁財天(べんざいてん)
7 大量 福禄寿(ふくろくじゅ)
【深川七福神は、どのにある?】
★深川七福神は、江東区深川界隈で、徒歩ゆっくりで約2時間のコースです。コース途中には、清澄庭園や深川江戸資料館、芭蕉記念館や美味しい食事やお土産など、下町情緒あふれる深川の魅力がいっぱいです。江戸風情の情緒を懐いながら、探索はいかがでしょうか。
★江戸時代の絵図に場所をプロットした位置図です(出展:深川江戸資料館の資料)
※ 現在の深川・両国・亀戸の街並みは、江戸時代の区画と基本は変わっていない街並みです。
また、一昨年に参詣しました「亀戸七福神」は、同じ江東区内の隣接の七福神です。
【恵比須神:富岡八幡宮】
恵比須神は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比須宮に奉祀されてます。
恵比寿神のお姿は、鳥帽子に狩衣をまとい、右手に釣竿、左手に鯛を抱えて岩に座った姿です。
もともとは、海上安全・航海安全の神とされてましたが、今は、商売繁盛の神としても、広く信仰を集めるようになったとこのとです。
深川七福神の恵比須神をお祀りしている富岡八幡宮は、江戸初期(寛永年間)に永代島に創建された神社で、隅田川両岸一帯で尊敬を集める江戸最大の八幡さまとして、親しまれてきました。
また、勧進相撲の興行で知られ、境内には、相撲に関する石碑が多くあります。
★わたしは、昨年に引き継ぎき、商売繁盛と金運を祈願させて頂きました!昨年の日本橋七福神、一昨年の亀戸七福神と連続して、この願いを十分に叶えて頂きました、ありがとうございます。
【弁財天:冬木弁天堂】
冬木弁天堂は、材木豪商冬木家の邸内の弁天堂に安置されてます。
弁財天は、七福神の中で唯一の女神です。音楽・知恵・弁舌・財福の徳がある天女となって選ばれたとのことです。元は水の女神であることから、弁天社は水際(滝・川・沼・湖など)に祀られてます。
江ノ島、竹生島、厳島の弁財天が有名であり、弁財天のお姿は、女神、白色の美顔、頭に宝冠、青色の衣を着て、左手に琵琶を抱き、右手で弾いている座像が多いようです。
本日も、弁財天の参詣客は多く、巳成金という開運のお守りを受け、これは「お金持ちになる」という習わしがあるとのことです。
【福禄寿:心行寺】
福禄寿は、心行寺の六角堂に安置されてます。
心行寺(浄土宗)の開祖は、岩国藩主「吉川広嘉」の妻「養源院」です。(吉川広嘉は岩国藩主として2代目で、延宝元年(1673年)に錦帯橋を架橋しています。)
中国伝来の神で、星を神格化したもので、長寿をつかさどる人望福徳の福神です。「福禄寿」の「福」は幸福、「禄」は富貴、「寿」は長寿を指し、それを叶える神といわれてます。
福禄寿のお姿は、背丈が低く、頭がきわめて長く、白髪童顔で、長寿をつかさどる福神の杖を右手に、左に長命の鳥・鶴を従えた姿であり、長命と円満な人格を人々に授ける福神です。
また、福禄寿は、福(幸福)と禄(財)と寿(長命)の三つの福徳を授ける福神ともいわれてます。
【大黒天:円珠院(えんじゅいん)】
大黒天は、円珠院に安置(仏神の大黒天)されてます。
※大黒天は、大国主命(おおくにぬしのみこと)とする流れ(多くは神社)と、仏神の大黒天の流れ(多くは寺院)に祀られているとのことです。
円珠院(日蓮宗)の開祖は享保年間(1730年)で、江戸時代から深川の大黒天として信仰を集めていたとのことです。
大黒天は、元は戦闘神でしたが、後に食料をつかさどる神として台所に祀られ、そのお姿は、鳥帽子、狩衣をつけ、右手に打出の小槌をかざし、左手に大きな袋をかつぎ、米俵の上に座った姿が特徴です。
また、小槌と袋は、限りない財宝糧食を蔵していることを表わし、財宝を授ける福神として、広く信仰されてます。
【毘沙門天:龍光院】
毘沙門天は、龍光院に安置されてます。
龍光院(浄土宗)の開祖は、慶長年間(1611年)で元は馬喰町(中央区)にあり、火災・消失のため、天和年間(1682年)に深川に移転されたとのことです。
毘沙門天のお姿は、身に甲冑をつけ、左手に宝塔を捧げ、右手には三叉戟(さんさげき)(※三つ又の鎗)を持ち、忿怒(ふんぬ)の形相で邪鬼を踏みつけ、毘沙門立ちをしている姿が特徴的です。
また、毘沙門天は、護法と施福を兼ねる仏神として、七福神の一神であり、民衆に勇気と決断力を与え、財福を授け守る福神として、広く信仰されています。
【布袋尊:深川稲荷神社】
布袋尊は、深川稲荷神社に奉祀されてます。(深川稲荷神社は、寛永年間(1630年)の創立)
布袋尊は、中国に実在した布袋和尚を神格化したものです。お姿は、大きなお腹が特徴で、手には団扇と大きな袋を携えています。
中国においては、弥勒菩薩の化身として信仰されており,日本では、清簾潔白・大気度量を授ける福神として、禅画や置物にもなって親しまれ、広く信仰されるになってます。
【寿老神:深川神明宮】
寿老神は、深川神明宮の境内の寿老神社に安置されてます。深川神明宮は、深川において創立の最も古い神社で、深川八郎右衛門(大阪摂津)が慶長年間(1596年)に伊勢神宮の御分霊を祀って創建されたといわれてます。創立者の深川の名を持って、深川の地名となったともいわれてます。
寿老人は、中国道教の神(星の神)であり、老子の化身の神ともいわれてます。
寿老神のお姿は、白髪長寿の老人の姿をして、杖を手にし、杖には人命の長寿を記した巻物を吊し、鹿を伴っています。鹿は長寿を司る寿老神の神使とされています。
寿老神は、人に延命長寿の福徳を授ける福神として、広く信仰されてます。
徒然のひとこと
深川七福神めぐりで、今年もまた、勝手に、多くの願いをさせて頂きました。願いが叶うよう、精一杯の精励をしたいと新年の決意を新たにしたところです。
★今回は、以前から関心のあった深川の史跡・旧跡も併せて巡ってみました。深川には、こんなに多くの神社・寺院があることに驚きつつ、深川江戸資料館や芭蕉記念館、清澄庭園、赤穂浪士が吉良邸討ち入り後に歩いた道(吉良邸(本所両国)➡回向院➡一乃橋➡萬年橋➡清川橋➡永代橋)や伊能忠敬が測量に旅立つ前に必ず参拝した富岡八幡宮を辿ってみました。
★芭蕉記念館・芭蕉庵史跡展望庭園では、松尾芭蕉が「おくのほそ道」に出発(1689年:芭蕉46歳)した当時の隅田川を懐いつつ、時が経って風景(隅田川の両岸擁壁や両岸のビル群)は変わっても、空や風や人の心は変わらずに、時が静かに過ぎている大きな流れが伝わってきました。
★また、赤穂浪士が本所吉良邸(両国3丁目)討ち入りから歩いた道を辿って、一乃橋➡萬年橋➡清川橋➡永代橋を渡り、中央区明石町の「浅野内匠守邸跡」(現在は聖路加病院)まで歩きました。(ゴールの泉岳寺まで半分の所です、残りは次週に歩きます!)
★東京の江戸時代の史跡・旧跡めぐりは、古地図を携えて巡ると、本当にわくわくして、とても楽しいです。当時の地形・高低や区画・道・水路等は、殆ど変わっておらず、当時の光景が蘇ってきます。みなさんも、東京・江戸にタイムスリップしてみませんか?